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ロシアの声の日本語版に以下のようなニュースがありました。
MMM 11月23日「SF作家B.ストルガツキイ死去によせて」
VOR 2012.11.23
ソ連・ロシアを代表するSF作家ボリス・ストルガツキイ氏が、11月19日ペテルブルグの自宅で心臓病のため逝去した。79歳だった。
番組では、ストルガツキイ兄弟の作品「路傍のピクニック」をもとに1979年にモスフィルムが製作したアンドレイ・タルコフスキイ監督の映画「ストーカー」の音楽を中心に、エドゥアルド・アルテーミエフの作品をご紹介する。
この作家の人が書いて後に映画化された『路傍のピクニック』。映画では「ストーカー」という邦題で公開されましたが、これは私が映画を見た歴史の中でも、特に「私にとって映画とは何か」ということを認識させた重要な映画でした。
(私にとって)映画とは何かというと、「視覚の世界」なんです。
映画にはストーリーや、あるいはテーマや主義主張といったものも入っているものですが、それらとは関係なく、映画とは「光景を見る」ものでした。
「ストーカー」を初めて見たのは 1980年代の終わりで、ビデオでしたが、ストーリーも意味も全然分からず、というより、ストーリーとかテーマを考える必要などなかったのです。
何しろ「映像が完璧」。
私はこの「ストーカー」に出てくる光景に強烈に惹かれて、「こういうシーンを自分でも作ってみたい」と思っていました。
そうしましたら、1990年頃、当時『ぴあ』という情報誌があったのですが、そこのイベント担当者の方から連絡があり、「浅草で取り壊す演芸ビルがあるんですよ。壊してもよごしてもいいですので公演やりませんか? オカさん好みだと思いますよ」と言われて、そこで公演をしたことがあります。
もちろん、映画ほど美しく作れるわけもなく、それでも、2時間の公演中、ずーっと天上から雨を降らし続け、後半はそれが「血の雨」となりました。
通常の建物でしたら、水で修復不能となるような量でしたが、どのみち壊すものなので、クレームもありませんでした。
この『ストーカー』は、私は何度も見ているのに、結局、ストーリーがどんなものだか全然知らなかったのですけれど、後に原作の「路傍のピクニック」の内容が書かれてあったりして知りました。
異星人が過去の地球に「ピクニック」にやってきていた場所。そこには、彼らのゴミが残されていたりする。その場所は「ゾーン」と言う名をつけられ、ソ連政府から立ち入り禁止とされるのですが、繰り返し夜に侵入してゾーンを歩き回る人間の窃盗者(ストーカー)の話です。ゾーンに入った人間や、その周囲の人間には「何か異質なことが体や精神の内部」で発生する。
こう書くとまるでSF映画ですが、しかし、SF映画ではないです。
「絵画」のように美しい映画。
それ以外の感想は今でもないです。
ゾーンに行った人物の中のひとりの娘さんは、体中の毛が金色となっており、視線だけでモノを語かすような体となっています。
正しいストーリーは Google で路傍のピクニックと検索するとたくさん出てきます。
ところで、最近この『ストーカー』をまた見ようと思って探したら、入手が難しい。
Amazon では 下の驚きの価格で、手が出ません。
レンタルでも絶望的に存在しないです。
どうして見たい映画に限って普通の価格では手に入らないのだろうなあ。